宝筐印塔

◇本来は宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔であるが、のちに供養塔,墓碑塔として建てられ五輪塔とともに、石造の遺品が多い。
 市ノ瀬の塔は後白河天皇の皇子以仁王の近侍で武勇に優れた長谷部信連が以仁王の亡き後、平家の追討を怖れ以仁王の王子豊津宮と乳母を連れ、この地の豪族の日隈信武を頼り御所の谷に隠れ王子の養育にあたり、その乳母菊の前の墓と伝えられる。他の地区に見られるような豪華さはないが、古風で素朴な佇まいで、鎌倉時代の作と思われる。左が乳母の墓、右が南妙法蓮華経と彫られた供養塔。